ミ−散乱ライダー信号の解析手法
3-2-6 多重散乱を考慮したインバージョン法
雲のような濃い散乱体で散乱されたレーザー光は、再び散乱体の中で散乱されライダー受信視野に入る可能性が高くなる。すなわち、ライダー受信信号には一度散乱された単散乱成分の外に2回以上散乱された多重散乱成分が含まれる。多重散乱の効果は、ライダーの視野角や散乱体の位相関数、消散係数などに依存し、視野角の大きい地上ライダー(視野角が1 mrad程度以上の場合)や衛星搭載ライダーで顕著である。
多くの実験研究やMonte-Carlo法によるシミュレーション等によって多重散乱効果が調べられている35-41)。Monte-Carlo法はコンピュータで数値実験を行う有効な方法である。ここで、衛星搭載ライダーにおける多重散乱効果を示すため、筆者らのMonte-Carloシミュレーションの例を示す。宇宙開発事業団で開発されたELISEと呼ばれる衛星搭載ライダー42)と米国航空宇宙局NASAのシャトル搭載ライダー実験LITE43)に対して計算した単散乱信号と全散乱信号をFig. 6(a)に示す。また、Fig. 6(b)に全散乱信号と単散乱信号の比を示す。ここでは、2から4kmまでの高度に均一に分布するmaritime cumulus 雲44)を観測対象とし、Kerscherら45)の開発したMonte-Carloモデルを用いた。Fig. 6より、雲の距離とともに多重散乱が顕著になり、雲底では単散乱の100倍以上となることが分る。ELISEの受信視野角は0.21 mradと小さいが、衛星軌道の高さが約550kmで視野に相当する地上のフットプリントの直径は約110mと大きいので、多重散乱の寄与は顕著である。LITEはさらに視野角が大きいため、多重散乱効果はさらに大きい。
Fig. 6 Simulated single and total (multiple and single) return signals (a), and ratios of total to single signals (b) for ELISE and LITE. The field-of-view (FOV) is 0.21 mrad for ELISE and 1.1 for LITE, the height of orbit of lidar is 550 km for ELISE and 296 km for LITE. The multiple scattering is very significant; it increases with the depth in cloud and it is larger than 100 times single scattering at the cloud base (2 km). More multiple scattering is seen in the simulated LITE signal due to the larger FOV of LITE.
多重散乱効果を多重散乱因子を導入することによって考慮した1成分ライダー方程式は次式で表される37-39)。
(39)
ここで、r0 はライダーから雲のライダー側の端までの距離、T(r0 ) はライダーとr0 の間の大気の透過率である。ηとFが多重散乱因子で、雲の種類(粒径分布や形状)や消散係数などに依存する。η=1-Fの関係があり、F は次式で定義される。
(40)
ここで、X1 (r)は単散乱ライダー方程式(1)で求める単散乱のライダー信号である。多重散乱のない場合は、η=1、F=0、多重散乱のある場合は、0< η=1-F <1の関係がある。
η、FはMonte-Carlo法などにより求めることができる。Fig. 7に、例をとして、 (40)式を利用し計算されたF因子41)を示す。ここで、雲はFig. 6と同様で、消散係数が0.3-10 km-1の9つのケースを考えている。この例場合、Fは雲の消散係数と距離に依存し、その値は 0.25-0.7である。実際の応用では、ηあるいはFは距離に依存しない定数と仮定することが多い。
Fig. 7 Multiple scattering factor simulated for a maritime cumulus model cloud for ELISE, showing dependence of the multiple scattering on extinction coefficient. This factor ranges from 0.25 to 0.7 within the cloud (2-4 km).
消散係数と後方散乱係数の関係((8)式)を仮定し、ライダー方程式(39)を解くと多重散乱を含む解が得られ、forwardの解は次式で表される。
(41)
(42)
ここでは、ηは距離の関数として扱われている。式(42)と等価な式は初期のDavisの論文で与えられ7)、多重散乱の補正が可能であることが指摘された。多重散乱を考慮したforward、backwardの解の応用についてその後研究され、backwardインバージョンで、多重散乱を無視した場合、消散係数が過小評価されることが示された46, 47)。
巻雲などのライダー信号のインバージョンにおいては、多重散乱の寄与が無視できず、また、レイリー散乱の寄与も無視できない。多重散乱効果を考慮した2成分のライダー方程式は次式で表される。
(43)
ここで、分子による多重散乱効果は非常に小さいので無視されている。(43)式より、多重散乱効果を考慮した2成分のforwardの解が次式のように求められる48, 49)。
(44)
(45)
ここで、ηは定数としている。衛星搭載ライダーの場合には、 (45) 式の境界項、X(r0 )/[β1 (r0 )+β2 (r0 )]の代わりにCT2 (r0 )を用いるのが便利である。
式(41)、(42)、(44)、(45)の積分の方向を変ることで多重散乱を考慮したbackwardの解が得られる。
多重散乱を考慮したODCの解もある。まず、有効消散係数対後方散乱係数比S1,eff 、有効消散係数σ1,effと有効光学的厚さt1,effを以下のように定義する。
(46)
(47)
(48)
式(36)と(37)と同様の、多重散乱を考慮した2成分のODC解が得られ、次式で表される50)。
(49)
(50)
また、手前や遠方の後方散乱係数或いはCT2 (r0 )の推定ができれば、有効消散係数と後方散乱係数比S1,effも求められ、次式で表される。
(51)
式(51)を用いたイタレーションによってS1,effが求められる。また、式(49)と(50)から、σ1,eff (r)とβ1 (r)が求められる。S1とσ1の導出では、 Monte Carlo法などで、η因子を推定しておく必要がある。しかし、β1の導出では、ηは必要ない。
SassenとChoは、式(47)に基づき、巻雲のS1,effを推定する手法を検討した51)。この方法は、境界を雲の下のミー散乱の少ない場所におき、S1,effの試行値を用いてインバージョンを行う。次に、求めた後方散乱係数のプロファイルを雲の上のレイリー散乱の参照プロファイルと比べ、それらが一致するようにS1,effを決める。これによって同時に、後方散乱係数と消散係数プロファイルが得られる。その後、Youngは49)、S1,effの推定の解析式を求めた。また、雲の上下のライダー信号や、参照信号プロファイルによる有効光学的厚さの推定(ここの有効とは多重散乱効果を含むという意味)と境界条件の与えについて議論を行った。Youngの方法は、基本的に多重散乱効果を考慮したODC法(式(50)と(51))と等価である。しかし、YoungのS1,effの推定式(文献49の(29)式)には雲の消散係数が含まれるので、イタレーションでは、消散係数のインバージョンを行う必要がある。一方、式(51)は、雲の消散係数や後方散乱係数を含まないので簡便である。
雲の中でレイリー散乱が無視できる場合には、式(51)は次のように書ける。
(52)
(52)式の1、2行目は最初にPlattにより求められたものと等価である37)。Plattの論文では、(7)式の B パラメータが用いられ、また、散乱係数に規格化された減衰補正なしの信号が用いられた。
これらの多重散乱を考慮した1成分と2成分のforward、backward、ODCの解は、多重散乱のないとき(すなわちη = 1のとき)、それぞれ、多重散乱を考慮しない場合の解に対応する。すなわち、多重散乱を考慮しない解は多重散乱を考慮した解の特殊な場合である。また、1成分の解は2成分の解の特殊な場合であるので、多重散乱を考慮した2成分の解が最も一般的であるといえる。
以上のように、消散係数と後方散乱係数の間に関係を仮定したライダー方程式の解が、現在、ライダーデータの解析に最もよく用いられている。これらの応用では、大気の状況と観測の形態(例えば、地上ライダー、航空機搭載ライダー、衛星搭載ライダーなど)に応じて、解法を選択する必要がある。Table 1に、多重散乱を考量する場合と考慮しない場合の、1成分、2成分の forward、backward、ODCのインバージョン法の特徴をまとめた。
Table 1 Characteristics of the lidar inversion methods.
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